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J.I.メールニュース

タイトル:教育の中央集権無責任体制
発行日:2003/08/01
読者の声

■ <北上リグ・外交政策研究会主宰 2003.8.4>
私は東京にあるフランス人学校に通っておりましたが、弁当問題に限って言えば、
そもそも給食は親の負担を軽減するためにあるので、弁当を持たせるのは親の
自由でした。フランスでは多様な民族・宗教の家庭があるので、給食ではなく弁当
を選ぶ家庭は少数派ですが存在します。その場合は給食代を払わずにすみます。
子供は他の子供が給食を食べる食堂にて弁当を広げることができました。また、
高校生になると、学校の外で飲食することが認められ、私も毎日近所の飲食店に
通っておりました。

また、生徒の身なりに関して言えば、服装や髪型は自由で、もちろん制服などは
ありません。私も高校生になってからパーマをかけたりしましたし、服装も派手な
ものを着ておりました。欧米人はそもそも生まれた時から髪の色や縮れ毛・直毛
など様々であり、すべて統一しようなどという考え方がありません。服装に関してもそれは個々の子供・親の感性の問題であるので、学校が立ち入る事柄ではない
という考え方があります。私の知る限り、フランスでは公立私立を問わず制服を
導入している学校は存在しません。

そんなフランスでも現在、日本と同じように学級崩壊や、学力低下、非行、不登校、教師の威信の低下などに悩まされています。フランスでは愛国教育や公民教育が施されていますから、日本の教育基本法にそのようなものを盛り込んでも問題が
改善されないことは明らかです。フランスは日本にも増して中央集権的な国なので、問題の根幹は、やはり制度自体にあるといえるでしょう。日本の教育改革を考える時、フランスとの比較研究が役に立つのではないでしょうか。

■ <隈部忠昭・シンクネット構想日本会員 2003.8.2>
教育についての古山氏のご意見に全く同感です。小中高の教育の現場に、「情熱」と「使命感」を回復させる方策を真剣に検討すべき状況と感じます。

             
■ <松村眞・環境企画 主宰 2003.8.18> 
私が小学校の低学年の頃は学校給食がなかったので、毎日お弁当をもっていきました。戦争の末期で食糧事情が悪かったから、母は子供3人分のおかずを用意するのにいつも苦労していました。おかずの中心は塩ゆでの豆や漬物で、たまに小さな鮭の一切れや玉子でもあれば顔がほころぶほど嬉しかったのを憶えています。ほかの子供も似たようなものでしたが、なかには当時は貴重だった肉や魚のおかずを毎日のようにもってくる子がいました。そうした子は皆から弁当をのぞかれ、羨ましがられ、やっかみ半分にひやかされました。だからおかずが豊かな子は弁当の中味を見られないように、左手にもったふたでかくしながらこそこそと食べていました。一方、おかずが粗末な子も粗末なことを見られまいと、やはり左手で弁当をかくしながらこそこそと食べていました。弁当は幼い子供にとって、世の中には豊かな者と貧しい者がいることを初めて知る機会になっていたのであり、こそこそ食べる風景はその象徴でした。

 戦争が終ると給食が始まりました。最初はアメリカから贈られた食料援助物資が使われたので、小さなコッペパンとミルクが毎日の昼食でした。当時の給食は欠食児童をなくすことが目的でしたから、味の方はひどいもので、かなりまずかったのを憶えています。とくに脱脂粉乳を溶いたミルクは粉っぽく、飲み込むのにひどく苦労しました。それでも皆が同じものを食べて飲むのですから、誰も食事をかくす必要がなくなり左手が自由になりました。学校給食が、当時、粗末な弁当しかもってこられない子供を劣等感から開放した意味は大きかったと思います。今から考えると給食の内容は粗末でしたが、空腹を満たすのが先でしたから、ほとんど残ることはありませんでした。たとえ誰かが残しても、すぐそばにもっと食べたい子が待っていました。

 やがて経済が復興するにつれて食料事情は徐々に好転し、学校の厨房設備も整備されて給食はおいしくなりました。家庭の食事も豊かになり、もはや欠食児童や栄養失調は見られなくなりました。児童の飢えをしのぎ、栄養を保つという学校給食の初期の目的は昭和20年代に達成されたのです。そこで昭和29年に制定された学校給食法では、給食の目的を児童福祉ではなく、食生活の指導という教育目的に設定しました。教育目的だから学校給食のための設備費や人件費は税金で負担し、食材費だけを保護者が負担する現在の仕組みが完成しました。現在の学校給食の普及率は、小学校が99%、中学校は66%です。給食の費用は1食平均が約750円で、そのうちの食材費は250円程度です。食生活指導が目的ですから好き嫌いが認められず、全部食べないうちは席を立たせてもらえない時期もありました。

 ですが同じ年令でも食の細い女の子は、体の大きい男の子の半分ぐらいしか食べられません。アレルギー体質の子供には食べられない物もあります。飽食の時代を反映して好き嫌いも多いです。そんなわけで給食の食べ残しは増加しており、1人1食あたり50グラムから70グラムに達しています。この残飯はほとんどが焼却されていますが、わざわざ肥料化設備を購入する地域も増えています。食べ残しの理由は児童の好みや体格に関係なく、全員が同じメニューと量という点にあります。いっそのこと弁当の持参を認め、給食は希望者に限定する給食選択性を導入したらどうでしょう。そうすれば個人の希望が反映できるから食べ残しが減るに違いありません。そうなると公費補助が問題になりますが、イギリスではサッチャーさんの改革で完全に民営化されており、公費の補助はありません。食生活の指導は家庭の役割でよいと思います。

(追記)この文章は給食の食べ残しを減らす趣旨で書いた原稿を修正したものです。でもこの原稿を書きながら、学校給食の必然性に強い疑問を感じていました。費用からみるとコンビニ弁当の方がはるかに安いし、給食が選択性なら学校にパン屋さんやお弁当屋さんが売りにくるようになるでしょう。費用の公費補助ですが、子供の食費は保護者が全額負担するのが当然ではないでしょうか。一方、給食調理員(補助職員は別)は公務員ですから、年間190日しか給食がないのに、給食がない日も学校に来なければいけないのです。学校が単独で厨房設備を持たない場合は、複数の学校のために給食センターが給食を作り配送していますが、この給食センターも官営で、校長先生の天下り先になっています。もし給食センターが民営化されれば、老人ホームや地域イベントへの弁当販売やケータリングサービスもできます。そうすれば稼動率が改善できて大幅なコストダウンができるでしょう。ちなみに市場のレストランやケータリングサービスは、年間250日から300以上の稼動率です。学校給食の選択性と民営化について、実行可能な政策提案課題とされるよう提案します。必要なら協力します。

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