構想日本は会員がサポートする独立、非営利のシンクタンク
構想日本
あなたの「思い」を「政策」に変える。
過去のJ.I.メールニュース
J.I.メールニュース

タイトル:「思考は環境で規定される?」に寄せて
発行日:2003/11/21
読者の声

■ <内藤正明・NPO法人循環共生社会システム研究所代表理事 2003.11.29>
このテーマに関して議論が盛り上がり、発信者の一人としても関心を持って拝見しています。
大方の趣旨は、「環境を整えることで、人の思考も良い方向に変える」というものですが、以下の論旨は、若干それらと異なる見解を示唆しているように見えます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
泉大津市役所
タケウチシンイチ様

 確かに環境によって思考は変わる部分が多いと思います。しかし、環境
に負けることなく大事業をした偉人はあまりに多い。ユネスコ憲章にも紹
介されている言葉に日蓮の身は王に従えられても心は従えられないとあり
ます。ロシア正教から破門されたトルストイやユゴー、ベートーベン、ガ
ンジー、ソクラテス、南アフリカのマンデラ元大統領等々です。我が身は
環境によって作られるが我が身が環境を創ることが出来ると考えます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

しばしばこのような論旨での異論が提起されるように思います。
つまり、「条件Aによって、結果Bが生じる」という論旨に対して、
    「条件Aがなくても、結果Bが生じる(場合がある)」という主張です。

タケウチ氏の、「環境が悪くても、偉大な人物が生まれる例がある」、という提起
は、
「悪い方が、より偉人が生まれる」のか、「悪くても、生まれることがある」
という主意なのかによりますが、
もし後者なら、「もっと良い環境で育てば、マンデラさんはもっと偉大になった可能性がある」ということも、その裏に考えられますね。
もし前者なら、「家貧しくて孝子出ず」と類似で、環境が厳しい方が偉人が生まれる可能性が高い、と取れます。ただし、今回の場合は、「孝子出ず」ほど単純にはそう思いにくいので、比較のデータがほしい気がします。

さらに、この種の議論は”可能性”の問題であって、極めて少数の例外的な人物が、どのような環境でも、どのような教育でも、偉大になることがある、という事実をもって、だから環境や教育はどんなものでもいい‥とはタケウチ氏も勿論言っておられないと忖度しますが。
ただし、どんな環境でも偉大になるような一握りの人物こそが、結局社会を動かすのに大事であって、環境によって左右される程度の人間のために、頑張って環境を整えても、世の大勢に影響は無いという示唆とも受け取りましたが、余りに深読みでしょうか?

発言の主意はな何辺にありやを、もう少し教えていただきたい気がします。

若干こだわるようですが、”必要条件、十分条件、必要十分条件、その何れでもな
い”、を明確にしないで、すれ違って議論している例をよく見受けるものですから‥。
ーーーー
[追記]:
上記の、私の持って回った意見は、どうも議論の本質を捉えていないと感じました。それは、私の議論の前提として、「良い環境か、悪い環境か」という条件を想定し、それによって生じる結果を、「優れた人が育つか、育たないか」という二分化で捉えているところであります。
現実には、「さまざまな環境条件」の下に「様々な人が育つ」、という理解が適切なのでしょうね。

最近日本にも、ピアニスト、ゴルファー、重量挙げなど芸能やスポーツといった
特異な分野で、優れた才能の若手が出てきて、それらはいづれも幼年期から、
それに適した(特殊な)環境が自然に存在したようです。ベートーベンもその例の
一つでしょう。 

同様に、「日蓮、ガンジー、マンデラ」など世の中を大きく変革するような人達は、その不屈の精神と堅固な社会変革思想を育むのに、獄中というような厳しい環境が必要だった(または有効に働いた)ということなのでしょう。

つまり、どのような才能を持った人物が育つかは、それぞれの才能に適した環境というものが大きな要素としてある、という一見余り変哲のない結論になるのでしょう。”それではどのような環境を作っていくのがいいのか”という最初の課題に戻ると、これは難題となりますね。

ガンジーやマンデラのような人物を育てるために、国民が抑圧と貧苦にあえぐような苛酷な社会環境を作ろう‥、ということには多分ならないだろう。では、社会全体が飢えも知らずに、かつ平等に暮らしてきたようなタヒチやフィージのような南の諸島は、しばしば楽園と呼ばれ、また自然共生社会の一つのモデルとも思われるが、そこでは、ガンジーや日蓮のような社会を大きく変える人物は、まず育たない
(それ以前に必然性がない)ということでしょうか。
{「環境がわが身を作り、わが身が環境を作る」 というタケウチ氏の言はこの辺り
のことでしょうか}。

いま我々は、地球環境の厳しい制約の中で、何とか地球生態系が持続しつつ、
かつ「我々が幸せ」に生き続けられるような「持続可能社会」を模索している。
とすれば、そのために必要な人物像は何か、そしてそのような人物を育てるような
環境とは何か、ということを考えることから始めなければならない‥ということになりますか。

どうも、素人の稚拙な議論で迷惑をおかけしたようですので、専門家のご教示を
お願いいたします。

””