• 読者の声

タイトル【No.859】代表コラム 「物を持たない豊かな時代」
発行日:2018/05/17
読者の声

◆ 自治体職員 平岡 直也氏(2018/05/21)

859 代表コラムへの感想

シェアする豊かさ、ということを思いました。

家をシェア(シェアハウス)、車をシェア(カーシェアリング)、SNSで情報や出来事や感情をシェアする。

物事を独占私有するのではなく、ことごとく共有化する。

同じ家に住み、同じ物を使い、知識や感情を共有すると共感、共鳴が置き、仲間意識が芽生えたり、心の交流が生まれ、各自の人生の質も高まる。

現実は、そんなにきれいには運ばないかもしれません。

しかし、持たないことによる自由とか豊かさというものもあるのではないかとを考えます。

持つことで背負うこともあり、持たないことがかえって自由で豊かである可能性もあります。

逆に、家庭を持つなどは典型的ですが、持つこと背負うことによる豊かさも同時にある。

いろいろと考えが浮かんできます。

「物を持たない社会の仕組みやルール、価値評価などについて、政治や行政の場でも、議論をする時に来ている」

という加藤代表のご意見に、私は共感いたしました。可能であれば、ぜひフォーラムなどでも取り上げていただけると幸いです。


◆ 埼玉大学名誉教授 小野五郎氏(2018/05/19)

アベノミクスがいかに後れているかの証左でもあるでしょうね

加藤さんの言われるように、「物を持たない」ということは、小生のような生態主義者からしますと、資源の有効活用という視点に限る限り望ましいですが、反面、御指摘の
ようなウーバーや民泊による伝統風土破壊を通じた多様性喪失という意味では望ましくない。

同様に、経済的には、物余り時代にあって新しい付加価値を生むというプラスとは逆に、もたらされる量的減少は少なくともアベノミクスをはじめとするGNP成長至上主義からすればマイナス面の方が大きい。

したがって、「成長路線回帰に向けた経済活性化」のために「規制緩和」を唱えての話としては語彙矛盾以外の何ものでもないことになる。

むしろ、もはや需要飽和から定常状態に達した現代日本をはじめとする旧来の先進諸国としては、加藤さんの言われるように「目の前のことにとどまらず、物を持たない社会の仕組みやルール、価値評価などについて、政治や行政の場でも、議論をする時に来ている」ことは論を待たない。というより、議論は、単に「物を持たない社会」だけでは
なく、AI・多様性・文化産業などに代表される非物的サービス・付加価値すべてを包含させたものとすべきだと思量する。

残念ながら、それに参加するにはちと齢を重ね過ぎたようだが、こんな老いぼれの思考にも付いて来れそうにない永田町・霞ヶ関・大手町等々の現状には呆れるほかはない。

追伸 こういう話になると、とたんに目が覚めてきます。


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