構想日本が考える日本の姿「低コスト・高満足社会」(4/6)

(2)福祉国家

 

成長が期待できないとなると、福祉国家として提供できる行政事業の原資が増えないわけですから、どうすればいいでしょうか。増税していわゆる「高福祉・高負担」の道を行くか、増税せずに「低福祉・低負担」の道を行くか。

 

構想日本は1997年の設立以来、「低コスト・高満足」を掲げてきました。一つ例をあげましょう。
バリアフリーについて。そのための設備を整備したい。しかし国の隅々までとなると膨大な税金がかかる。もちろんバリアフリーが実現するならお金をケチってはいけません。実は日本は世界でもトップクラスの「バリアフリー設備大国」です。ところが残念ながら「バリアフリー実現国」ではありません。それは設備頼みになり、人があまり手を貸さないからです。逆にどこでも誰でもが手を貸し、設備は補助的に、となればお金はかかりません。また、手を貸した人も、助けてもらった人も気持ちがいい。つまり低負担であっても高満足という状態が作れるのです。

 

同じようなことは多くの公共的な分野で言えます。北海道の夕張市は2007年に財政破綻しました。その結果、入院ベッド数171床の総合病院は19床の診療所に縮小され、CTなどの医療機器も使えない。「すわ、医療崩壊か」と言われました。

 

ところが5年、10年と経ってみると、決してそうはなっていない。死亡者数、平均寿命は変わらず、大きく変わったのは死因。脳、心臓疾患、肺炎が減り、代わって老衰が増えたのです。これは病院で診断の結果、脳、心臓疾患の病名がつき、入院して様々な治療を受けながら亡くなる人が減り、病名がつけられず自宅で亡くなる(老衰)人が増えたこと、肺炎については診療所が、口や歯の衛生など住民の日常の健康管理に力を入れた結果、減ったことによるものです。

 

夕張市の医療状況を大まかに言うと、破綻前は日本の他の都市、病院と同様、住民が病院に来ると検査をし、投薬、手術、入院などの治療行為を行っていました。ところが破綻後は機器の部品が買えない、医師や技師もあまり雇えなく、高度な検査や治療はできなくなった。本当に高度な医療が必要な人は札幌などの病院に紹介するが、高齢者の多くは入院して行きっぱなしになりたくないから、あまり行かないといいます。
そして、日常の健康管理、お年寄りの場合は隣近所どうしで気をつけ合う、訪問看護・介護などが診療所の主な医療活動になっているのです。その結果が上に述べた状況です。

 

夕張市の医療についても、使っている金額=税金でみると以前よりはるかに「低福祉」になっています。しかし住民の健康状態ということで見ると、福祉レベルが低くなったわけではありません。むしろ隣近所声をかけ合いながら、できるだけ自宅での日常生活を続けるというのは、健康寿命を長く保つという意味では望ましいことです。だとすれば、やはり住民にとっては結構高福祉あるいは高満足状態といってもいいのではないでしょうか。

 

二つの例を見てきましたが、同じことが子育て、教育、防災、町づくりなど多くの分野で言えるのです。お金=税金やそれで作った施設や設備ばかりに依存せず、住民自身が生活の中でちょっとした役割を果たす、それが住民が実際に受け取る効果としての高福祉=高満足を実現するのです。行政が中心になって税金を投じて行うのは、道路、橋、堤防などのインフラの維持管理が中心となるのでしょうか。

 

専門家やメディアがいつも間違っているのは、使ったお金の大小で福祉のレベルを議論していること。費やした金額だけで福祉レベル、満足度は計れないのです。お金よりも人の手が入った方が満足度が高くなるということが多いのです。

 

以上が、「高福祉・高負担」か「低福祉・低負担」という二者択一ではなく、「低コスト・高満足」という経済成長を前提としなくてもよい福祉国家の構想です。もちろん、この方法だけではうまく回らないこともあるでしょう。まずはここから始めていけば必ず新しい知恵や工夫が出てくると思います。なぜならば、次の民主主義のところでも述べますが、私たちは皆、地域のこと、社会のこと、公共的なことなどこれまで行政に任せっぱなしで他人事だったことでも、自分で動き始めると面白くなり、次々とアイデアも生まれるのです。これが「自分ごと化」の何より重要な効用です。

 

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