• 読者の声

タイトル【No.745】「気候変動問題を知ること、伝えること」
発行日:2016/02/25
読者の声

◆ 自治体職員 平岡 直也氏(2016/02/27)

メールニュース 745の感想につきまして

「温暖化した時代」を生きる若者をターゲットに気候変動を
自分事にしていこうという取組は良いと思います。

最近、「自分事」を考える上で、自分個人だけでなく、自分と
自分に関わりの深い人たちとの関係を作ったり変えたりする
そういうものがより深く「自分事」になる気がしています。

気候変動により、私たちの愛すべき家族、コミュニティの
暮らしがどうなるのか、自分だけではなく、自分の周囲の
人間関係に広げて考えてみるのがよいように思います。


◆ 豊 田 洋 一氏(2016/02/26)

気象変動問題について一言

先般CO2の濃度が400ppmの記事が小さく掲載されていた、また別の日には酸素の供給について工業生産ではお手上げ状態、むしろ、自然の摂理による地球環境浄化に頼るしかないとの記事もあった。

人が生きる為に排出した二酸化炭素、無意識の内に地球に打撃を与えている事が、個人個人には全く意識が無く 日常の生活をより快適に過ごす工夫の結果、副産物として発生した二酸化炭素、一般市民はどう受け取っているだろうか?
まるで遠いよそ事、自分たちには無関係の様に受け止めていないか?要するに真剣味が全くないと言っても過言では無い。

私は木工に関する仕事をしている、日々訪れる一般の方々、将来木工の世界に従事したいと願う若者達、又それを指導する先生方、とお話しする機会が多い。彼らには自然環境の意識、将来の展望など認識は薄い。特に先生方は教えている生徒の将来、その世界がどの様に変化するのか残念ながら関心が薄いのが、会話の中から読み取れる。

若者には温暖化で、自分たちが進もうとしている木工の世界にどの様な影響があるのか、よく考える様に諭しております。光合成で二酸化酸素を吸収し、酸素を自然界に放出している樹木の大切さ等先生を含めて無関心の様です。

マスコミも地球温暖化で北極南極の氷が解け海水が上昇し、天候の異変が起きる(台風の大型化)程度の報道、果たしてそれだけでしょうか?酸素が少なくなるとか 樹林の大切さ 等マスコミはあまり報道しておりません。

「COP21で地球の平均上昇温度を1.5度にする様に決議した」と聞いても一般の市民は自分たちには無関係の事の認識ではないでしょうか?温暖化の影響として、人が生きて行く上に遠い将来 酸素の量は大丈夫か?日本の国は戦後、住宅材の供給に広葉樹を切り、植林した針葉樹の公害、高齢化で放置された竹林の拡大により自然破壊 (他の樹木の枯渇・土砂災害・水源機能の低下等) が進行、それらが温暖化により災害をより大きくする可能性がある。

地球温暖化で実生活にどんな影響があるのか?庶民的な立場に立って報道する事も必要と思います。その影響を受けるのは 今の若者以降に生活する人達でしょう。その人達が等しく分かり合える様な予測例の提示が必要ではないでしょうか。自然は待ってくれません、進行するのみです。


◆ 埼玉大学名誉 教授 小野五郎氏(2016/02/25)

読者の声

もちろん当事者意識は持つべきだが皆さん熱心かつ善意で活動されているところに水を差すようで恐縮だが、抱くべき当事者意識はもっと冷酷なものだということを知らしめるべきではなかろうか。

たしかに、あまりに真実をあからさまにしてしまうと、自暴自棄となりそこから何も生まれない危険性は大きい。
されど、今となっては、そこに結果を求める限り、いずれこの問題の主導者たちに対する不信感が生ずるに違いない。

端的に言えば、自分が生きている間には何らの見返りもあてにすることなく、汗を掻くという覚悟無しには持続不可能だということである。

なぜなら、気候問題というものは本質的に「非可逆」であり、カオス的な意味で初期に設定された条件が招く結果は、世代を超えた超長期で考えない限り、現代人の想定範囲をはるかに超えてしまうからである。

実際、それ自体の科学的レベルはともかくとして、ローマクラブが警告を発してからすでに半世紀近くが経っている。私自身、当初はそうと意識してはいなかったが、ほぼ同じ頃から同様の警告を発し続けており、93年にはローマクラブのA.キング氏の依頼でマドリッドの「環境と政治」国際会議にパネリストとして参加したが、唯一の東洋人参加者の目には、彼らの認識の甘さ、すなわち「中国・インドも招くべきだ」という私の主張を一笑に付したことなどに呆れた覚えがある。

そうした感覚でもって総てを手後れにさせておきながら、いまだに自分たちが世界を主導しているつもりなのには恐れ入るし、それを賛美する日本人識者に落胆せざるをえない。そもそも、欧米発の人間の通常の生存活動をはるかに上回る産業活動を賛美するという価値観それ自体こそ真っ先に改めるべきであり、「経済と環境との調和」などという非科学的な美辞麗句で誤魔化してはならないのだ。

貨幣によって数値化された現代経済活動は、環境とは違って「可逆的」なのだし、しょせん経済なんてものは環境という全集合からすればほんのちっぽけな一要素にすぎないのである。

要するに、現代人の価値観そのものの変更にまで踏み切れるかどうかにかかっているのだから、当事者意識うんぬんを言うなら、まずは理屈はともかく悪影響を生みだす戦争なんかをしている主要国首脳を徹底的に排除することが先決であろう。 

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