• 読者の声

タイトル【No.855】加藤代表コラム「相撲の神様の思し召し」
発行日:2018/04/19
読者の声

◆ 井上 道義氏(2018/04/19)

読者の声 3  井上 道義氏

これ、本当に大きな問題!

現に、ラフォルジュルネ音楽祭を金沢に引き込み、11年間やりましたが、4年目からこの問題で毎年紛糾、11年経ちついに袂を分けた原因がこの問題。

加藤さんの言う「型」と形式主義の混同。

フランス人、であり、その中でもアバウトな人間である音楽祭の提唱者ルネマルタンと、石川県や文化庁の助成金を使う時の「細かい使い道のための取り決めの書式」。

出演者の変更、プログラムを変更、またはそれらの説明等のための異常な(音楽界から見れば)縛り!
これに尽きました。

この国では、何故か(私は神扱いと言う)創業者はこれをあまり気にしないで済ませられるように思える。それに続く人々はその「創業者?」の成功したアイディアを「型」と決め・・・流派になる。そうすることで他流との選別?を行い価値をそこに求める。

この議論はわが国特有に思われるので大いに問題としたい。

しかし、加藤さん・・・・どうだろう日本だけの問題だろうか?

また我田引水だが、ショスタコーヴィッチがオペラムツェンスクのマクベス夫人や、交響曲第4番で、時の政権に「形式主義者」として糾弾され、他の現代芸術化と共に命が危なかったという有名な事件を考えてみたい。

形式主義!を嫌った「新しい形式による国家建設であったソヴィエト連邦」による圧力とは、実は仲間と言っても良い、今で言えば、街の長老会議、有識者会議、ボランティア活動委員会など、による一つの「取り決め」からの逸脱でしかなかった、ことが判っている。

スターリンが勝手にこの音楽判んないから人民に分かりやすい物を書けと言ったわけではないことが判っている。

アメリカにおいて、大統領の年頭書簡演説には必ず全員が起立して拍手をするが、それは中国よりも、北朝鮮よりも、異常に見えてしまうのは何故か?

加藤さんでさえも我が国の取り決めに対するリジッドな人間の振る舞いをわが国だけの問題としてしまう所が、いかにも日本風ではないか?

風、風、に逆らう事は難しい。でもそこにこそ本当の革命がある。
日本は革命を起こしたことがない。結果革命のようなもので進んできている。

フランスは今また大きな革命の嵐が吹きそうだが、世界に数多くの革命をもたらしたのは1789年のフランス革命であったわけですねえ。

井上(小さな革命ばかりで済ませている指揮者)


◆ 建築士 山嵜一也氏(2018/04/20)

読者の声 2  建築士 山嵜一也氏

今回のコラム面白かったです。

英国で働いていた当時や帰国してからも「英国では残業をしないってホント?どうやって仕事回しているの?」と言われて、上手く答えられなかったことを思い出します。(しいて答えるならば、みんなが帰るから帰るし、それに合わせての仕事量だった。)

そして、帰国してから5年経ち、日本企業の労働環境などを見て「無駄な会議、型や形式にとらわれているのに、どうやって仕事回しているの?どうやって成果を出しているの?」 思うようになりました。

今回のコラムの「型と形式」のように、深く考えずに仕事やルールに従っている。多く言われておりますが、思考停止の一端が見られたのでしょう。相撲協会(や国会?)はコントみたいな風景が繰り広げられています。(笑)

そういえば、京大での授業も紹介されていましたが、山口周氏の講演を是非、構想日本の東京開催お願いします!

彼の本には「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」から入ったのですが、他の本もめっぽう面白い。「論理と情緒」みたいな話が出来ると思いきや、理詰めの組織論も出来る。

只今、非常勤講師月間で若い学生にパワーを吸い取られる毎日です。女子美術大学で制作メインの授業ですが、杉並区との公共を考える授業でもあるので山口氏の本もどこかで紹介したいなと思っていたところです。

またコラム楽しみにしております。
この週末はまた一気に気温が上昇するとのことです。
どうぞご自愛くださいませ。

◆ 埼玉大学名誉教授 小野 五郎氏(2018/04/19)

読者の声  埼玉大学名誉教授 小野 五郎氏

今回の代表コラムに全面賛意

高校時代、他校の相撲部の稽古相手に引っ張り出され、元力士からも薫陶を受けた体験からすると、総てが大相撲流とはいえ、必ずしも「型」ばかり重視していた訳じゃありませんでした。むしろ、今の大相撲は、「国技」としてかつては禁忌だった同門同士の取組みとか外国人が土俵に上がることを認めている点、すでに伝統から外れています。

それによって喪失した権威を、今は何とか維持しようと形だけの「しきたり」墨守に凝り固まっているように思います。

教養人の加藤代表の尻馬に乗れば、茶道とか武道を一応齧った者からすると、昨今、その辺の家元とか道場主とかが「型」とか「試合実績」とかばかりを重視し、代表指摘の「その心」を見失っていることにがっかり⇒日本人そのものが、日本人の心を失っているように見えます。

グロバーリゼーション下「外から学ぶべきものを学ぶ」ということと「日本人の心を失う」ということは別問題です。むしろ、己のアイデンティティを維持しつつ、彼我の相違を是々非々の立場から咀嚼し取り入れていく。それこそ日本の古来よりの伝統であり、今の日本を作り上げたものです。

そうした貴重な経験を海外に向け「日本から発信」していくくらいの気概を示して欲しいところです。 

メルマガのご登録はこちら 過去のメルマガ一覧はこちら