- 第185回
- 飯舘村長・菅野典雄 × たくきよしみつ × 加藤秀樹 震災後2年目のフクシマ -それでも「までい」に生きる-
2013.01.21
第185回J.I.フォーラム 飯舘村長・菅野典雄 × たくきよしみつ × 加藤秀樹 2013/01/21(月)開催震災後2年目のフクシマ -それでも「までい」に生きる- |
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※ ご注意下さい。日程が変更になっております。
「までい」とは、福島県北部の言葉で、「丁寧に」、「心をこめて」などの意味で使われます。「飯はまでいに食え」、「子どもはまでいに育てろよ」など、常に使われる言葉です。飯舘村は長い間、合併もせずまでいに村づくりをし、村民はまでいに暮らしてきました。ところが原発事故ですべてが一変しました。今も全村避難の状態です。
マスメディアは何事をも、一過性の事件、イベントにしてしまいます。しかし飯舘村の人々にとって原発事故の結果は、これからの人生そのものです。
「汚染」がつくり出した問題と2年近く闘い続けてきた飯舘そして福島の現状と本当の課題を、菅野村長と、原発事故の問題についても一貫して的確な指摘を続けてきたたくきさんに話して頂きます。
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